戦前日本の動物用ワクチン

▶押田ワクチン(東京微生物研究所)

製造方法:(ヒト・動物用)兎の脳脊髄液を石炭酸(0.5%)グリセリン(66%)または石炭酸食塩水(0.85%)にて10倍乳剤となし、濾過後37度で2日間減毒する。

価格:100cc あたり 6.50円

 1915年、固定毒感染ウサギ脳脊髄乳剤を0.5%石炭酸グリセリン液で4倍希釈して、冷蔵庫内で1~1.5カ月感作し、使用時に5倍希釈したものをワクチンとして、犬に10~15回皮下注射する方法を報告した。ヒトに対して使用する濃厚固定毒乳剤をイヌ・ネコ・乳牛・ウマにも接種し、効果を検証した。いずれにおいても、感染を受けてから適切な時期に適切な回数・量を接種すれば、十分に発症が防がれることが示されている。

 また不活化ワクチンについての研究も行い、その減毒方法について希釈法ではなく乾燥法による手法を推奨している。具体的な方法は、まず希釈した固定毒を家兎に接種し、脳脊髄を採取した後、乾燥用容器に入れて冷蔵庫にて管理し、乾燥させる。これをすり潰して粉末とし、室温にて保管し、使用する際に石炭酸水やガラス粉と混ぜ合わせて動物体に接種する。1953年には乾燥粉末化した動物用狂犬病不活化ワクチン(S.G.R.V)の開発を行い、狂犬病ワクチンの集団接種実現に向け様々な研究を進めた。

▶ 梅野ワクチン(北里研究所)

製造方法:兎の脳脊髄液を石炭酸(0.5%)グリセリン(60%)にて6倍乳剤となし、濾過後室温にて夏季10日間冬季14日間放置して減毒する。

価格:30cc あたり 2.80円

 1916年、梅野信吉がPasteurの開発した狂犬病予防接種法をより簡便なものとするための研究を報告した。接種材料としてグリセリン・石炭酸水稀釈固定毒を用いて、その室温における保存性が高いことを明らかにし、接種回数・摂取量・接種方式などについても研究した。結果、1日間〜3日間の接種で十分な狂犬病発症予防効果が期待できることを示した。1918年には、第一回報告に引き続き狂犬病予防接種のより簡便確実な方法について研究を発表した。接種回数、接種量、接種部位について、曝露前接種及び角膜表面接種後の曝露後接種の実験を行い、ワクチンは2段階の希釈(20倍希釈)の必要は無く1回の希釈(5倍希釈)で良い事、1回又は2回の接種で十分な効果を示し得ること、曝露後接種でも一定の効果が期待できることなどを示した。

▶ 近藤ワクチン(獣疫調査所、傳(伝)染病研究所)

製造方法:(ヒト用)犬脳脊髄を石炭酸(0.5%)グリセリン(50%)で5倍乳剤となし、濾過後37度で3日間減毒する。

(動物用)兎の固定毒希釈液を20度で6日間放置し減毒する。

価格:(ヒト用)100cc あたり 7.50円

(動物用)250cc あたり 30.0円

 Pasteur狂犬病ウイルス株の分譲を受け、獣疫調査所において大正7(1918)年に文献上最も潜伏期の短い西ヶ原株を樹立した。この株を使って犬の脳脊髄を材料とし、梅野らの方法にならって加温減毒したワクチンを完成させた。このワクチンは、犬を使って製造しているので副作用が少ないことと製造原価が低いことを特色とした。

▶ 日本法開発の意義

1927年にジェノバで開催された国際狂犬病会議において、梅野法・近藤法において用いられていた、石炭酸加グリセリン水による稀釈乳剤1回接種法が「日本法」として認められた。注射回数が少ないことと、ワクチンの製法が簡単であることが大きな特徴であった。

頻回注射は咬傷者へのワクチンの使用法と同じであり、犬に対する接種を広く行うためには、注射回数を少なくする必要があった。1回注射で犬の免疫が可能となったことは、犬にワクチンを注射することで狂犬病の蔓延を防ぐという抜本的な狂犬病予防戦略が現実のものとなったことを意味する。日本では,1918~1948年の30年間 に、約3百万頭の予防注射が行われ、狂犬病の発症は410頭(0.014%)にとどまった。一方非注射犬(おもに野犬)では19,306頭の狂犬病例が報告されている。

(図)1916-1929における東京での狂犬病ワクチン接種犬頭数