狂犬病論

『狂犬病論』:田中丸 治平 著 / 志賀 潔 編 吐鳳堂書店 大正6年(1917年)4月 発行

 1885年にLouis Pasteurが暴露後ワクチンを開発し、狂犬病の犬に咬まれた後でも発症を予防することができるようになった。そのため、これまでより迅速に診断が求められるようになった。

▶ 生前診断

 咬傷事故を起こした犬は狂犬病診断のために生きたまま捕らえ、狂犬病に特徴的な症状を示すことをもって、8日以内に診断するべきであるとされた。

 第1期(発症後1~3日):異常な興奮。不安。食欲不振。異物を咬む。

 第2期(発症後2~4日):発作性躁狂。人に咬みつく。嚥下困難。歩行困難。

 第3期:下肢から麻痺が始まる。しわがれた吠え方。嗜眠。

▶ 死後診断

◎ネグリ小体検出法

 斃死した犬の脳の組織からのネグリ小体の検出、もしくは脳をマウスやモルモットに接種することで、狂犬病を診断していた。ネグリ小体の染色には次のような方法が用いられた。

ボーネ法

 アセトンで30~40分処理後、パラフィンに包埋し切片を作成する。

マン染色法

 メチルブルー、エオジンによって、細胞質を青色、ネグリ小体を暗赤色、赤血球を鮮赤色に染色する。

レンツ染色法

 マン氏染色法ではネグリ小体と神経節細胞核の核小体との鑑別が困難であった。また、ネグリ小体の内部が空胞化したり、神経節細胞が強く染色されすぎるために細かい核小体の構造を調べることが困難であった。

 そのため、メチルブルー、エオジンによる染色に加えてルゴール液を用い、染色法および脱色法に改良が加えられた。

 グリア組織は「淡薔薇色」あるいは無色、神経節細胞核は「微暗色」、核小体・神経節細胞・白血球・毛細血管壁は「暗色」~「暗蒼色」、赤血球は「朱赤色」、ネグリ小体は「猩紅色」に染色された。ネグリ小体が形成されづらい固定毒の検出に用いられた。

スツッチェル染色法

 メチレンブルーとタンニン酸によって、ネグリ小体は赤紫色、神経細胞は青色に染色された。ネグリ小体の構造が明瞭で手技も簡単であったため、優れた染色法であった。

ワンギーソン染色法

 「ロザニーリンビオレット」およびメチレンブルーによって、ネグリ小体が赤色に強染される。簡便な方法で診断に有効であった。

◎動物接種法

 明治30年(1897年)以降、伝染病研究所ではパスツールが発表した動物接種法を応用した方法で検査が行われてきた。

 ・ウサギの頭頂部から硬膜下に、被験動物の脳の乳剤を接種する。

 ・検体が陽性であった場合は、10~20日の潜伏期を経て発症し、2~3日で死亡する。

 明治35年(1902年)には押田氏によって、目の下部から視神経孔を通して脳底に接種する方法が考案された。

▶ 死後診断

 狂犬病の症状の現れ方には躁狂(現在の狂騒型)と静狂(現在の麻痺型)の2種類が存在し、それぞれ次のような症状を示す。

◎躁狂

 1.潜伏期:潜伏期は咬傷後、平均60日である。

 2. 憂鬱期:通常半日~3日間続く。

 挙動が一変して、憂鬱あるいは快活になる。とても驚きやすく、固有の不安興奮状態となる。咬傷部に掻痒感を感じ舐める。食欲は、初期は変化がないが、次第に著しく不振となり、木片、藁、紙、羽毛石などの異物を食べるようになる。情欲が亢進し、自分や他の犬の陰部を嗅いだり舐める。眼結膜が充血し、瞳孔が開き、呼吸が増え、歩行困難や元気消失が起こる。

 3. 躁狂期:発作は3~4日継続し、虚脱状態となる。

 刺激に対する症状が強くなり、狂犬病に固有の症状を呈するようになる。柵内では脱走を試みるようになり、放置すると家を離れ計画もなく脱走する。発作は散発的に起こり、柵内にいる犬に棒を差し込むと激怒して咬みつく。他の犬を入れると獰猛になり、顔面や頭部を咬む。また、全く疲労する様子が見られない。脱走した犬、浮浪している犬は、発作時一直線に逃亡し、物に当たればそれを咬み、短時間で何㎞も移動し多数の人や家畜に被害を与える。静止時はぐったりしたように横臥する。特に顔面に著しい強直性が認められる。

 病気の進行に従って強直は全身におよび、しばしば痙攣が現れ、柵の中の狂犬は外部からの光線や音によっても発作を起こす。嚥下困難であるが、人の発症時にみられるような水を忌避するような痙攣発作は認めない。

 4. 麻痺期:3~6日で倒れることが多い。まれに7~8日生存する例もあるが、10日異常生存した例はない。

 麻痺症状が出ると、後肢が虚弱となり、歩行を躊躇して尾は垂れる。麻痺はだんだんと体の前の方に至り、呼吸は増加して不整になり、舌が血液混じりの泡沫状の唾液と共に口の外に出てくる。この時すでに咬みつく力は無く吠えることもできない。脈は弱く糸状になり、体の一部もしくは全身に痙攣を起こす。

◎静狂

 神経中枢の興奮状態を欠き、下顎の麻痺が特徴的である。この症状は初期から現れるため、咬むことができなくなり飲食不能となる。後に下顎は完全に麻痺して下垂し、舌は口腔内から外に垂れ、飲食物を吐き出してしまう。

 唾液は常に大量に分泌され、吠え声の変化、意識の障害、急速に進行することは躁狂型と同じである。 衰弱は後肢から始まって脳幹部におよび、局所的、全身の痙攣を起こし発症後2~3日で死に至ることが多い。