戦前は内務省警察庁のもと、警察の監督下で民間企業が野犬や放し飼い犬の捕獲を行っていた。その後、1948年に保健所法が施行され、獣疫業務は保健所に移管された。戦後の狂犬病予防法施行後は、獣医師である狂犬病予防員の直接指導の下で、狂犬病予防技術員(都道府県によって呼称は異なる)が汁液業務を行っている。
狂犬病予防技術員(犬捕獲員)は野犬や放し飼い犬の捕獲に献身的な働きをしたことが、狂犬病終息へ大きく寄与した。
宇井昌生(元東京都衛生局主幹・元全国公衆衛生獣医師協議会会長)
目次
▶ 掃蕩方法
①捕獲
概ね縄、針金を用いて行っていた。
②薬殺
主に硝酸ストリキニーネをえさに混ぜて、薬殺を実施することもあった。現在でも「狂犬病予防法 第十七条」に、薬殺には硝酸ストリキニーネを用いることが定められている。
・警察官監督下で行う方法
硝酸ストリキニーネをしみ込ませた綿を棒を使ってなめさせるなどをして、薬殺を実施していた。
・一定時間を放置する方法
東京都ではを都内52保健所で68か所を選定し、327頭を毒殺したとの報告がある。なお、十分な広報によって飼主とのトラブルは生じなかったとしている。
③撲殺
法律上で野犬の駆除が記述された時から、撲殺が認められていた。公衆のみえる場所を避け捕獲をはじめその他が困難な場合に限り行う事としていたものの、ほとんどは撲殺によって掃蕩されたと言われている。
▶ 拘留期間
1881年に初めて、無標識の犬を捕まえた場合に、警察署で1週間を限度に飼育することが畜犬取締規則に明示された。その後、1922年に所有者不明の徘徊する犬を拘留した場合は、その旨の公示を3日間行った上で、地方長官によってその犬の処分することができることが定められた。1944年に狂犬病の流行に伴い、狂犬の勾留期間を3日間から24時間へ変更した。
▶ 野犬の買い上げ
犬と引き換えに現金を交付することが最も効果的であったとされ、特に大都市にて著しく奏功する傾向があった。誰でも現金と引き換えることができた。
《買い上げ金額の変化》
買い上げ金額は管轄機関(農林省など)が最低額と最高額、普通額を定めて自治体によって決定することができた。狂犬病の流行及び咬傷事故多発に伴い、一時金額を引き上げる事もあった。
年代 | 成犬 | 子犬 |
1928年 | 25銭 | 25銭 |
1930-1941年 | 40銭 | 10銭 |
1941年(一時的な引き上げ) | 70銭 | 50銭 |
1944年 | 3円 | 1円 |
▶ 去勢避妊手術
1937年頃には、警視庁が主体となって、狂犬病の根絶を目指す総合的予防方法を実施していた。その一環として、開業獣医師らと協議会を実施し去勢避妊手術の徹底を目指したいた。具体的には、市民が去勢手術を所轄警察署に申し込むことで、係官が無料手術を提供していた。避妊手術の場合は、開業獣医師によって自費診療として実施していた。