犬の狂犬病予防事務内務省へ移管の経緯

犬の狂犬病予防事務内務省へ移管の経緯

概要
日本における犬の狂犬病予防事務の主管は農商務省(農林省)が担っていたが、1929年(昭和4年)4月11日 狂犬病防疫の内務省・農林省訓令により、正式にその主管は内務省に移管となった。大正12年に狂犬病の大流行が発生した際、内務省は当時主管庁であった農商務省をさしおいて、予防協議会を主催した。これに対し反発した農商務省と内務省の間で、どの省が狂犬病予防事務を担うのか、議論となったのが発端となった。

移管問題の背景

1923年(大正12年)に、大阪府を中心とした狂犬病の大流行が発生し、被害者の続出により公衆衛生上、無視できない状況となった。これを踏まえて、内務省(当時の公衆衛生主管官庁)の山田衛生局長は1924年(大正13年7月)に予防協議会を内務省から招集した。

これまで狂犬病を管轄としていた農商務省の三浦畜産局長にも参加の方を問い合わせたところ、三浦畜産局長は山田衛生局長に抗議をした。

その理由としては、
①狂犬病予防事務は農商務省の主管とするべきものである
②協議案の内容が主として畜犬の取締に関する限り、家畜伝染病予防法のもと、本件は農商務省が主催するべき事柄である

内務省が主催する予防協議会をきっかけに、狂犬病予防事務の主管である農商務省(農林省)と内務省の対立が浮き彫りになったようである。

農商務省と内務省それぞれの主張

三浦畜産局長の抗議文(一部抜粋)

一、今回の協議会は主に狂犬病予防事務の見地より、畜犬の取締方法をどうするかを研究するものである

一、狂犬病予防の見地による畜犬の取締は家畜伝染病予防法の規定に基づき、農商務大臣の主管に属する

一、よって内務省衛生局長が狂犬病予防の見地による畜犬の取締方法について研究打ち合わせをすることは筋違いである。恐水病の関係上、必要あらば農商務省に問い合わせるべきであり、また注文があれば農商務省に申し込むべきである

一、もし衛生局において農商務省の狂犬病予防に関する事務について説明を欲するならば出席するが、衛生局主催の協議会に出席するべき筋合いはない

上記のように、農商務省三浦畜産局はあくまでも狂犬病予防事務は農商務省に帰属するものであり、内務省衛生局が主催すべきものではないと主張する

山田衛生局長の返事(一部抜粋)

一、自分は規則の構成については念を入れて研究をしているわけではない

一、常識上、狂犬病の予防は恐水病予防を主眼とすることを踏まえて恐水病主管局である衛生局が狂犬病予防並びに畜犬取締について取り扱うのは当然のことと考える

一、しかし現行の制度が上記の通りではなく、狂犬病及び畜犬取締が農商務省畜産局の事務である以上、この種の仕事を制止するべきという注文があるならば農商務省に申し出るのは最もである

一、但し今回の協議会は既に各方面に招待しているため、このまま内輪の会議として開催をするべきである

 農商務省三浦畜産局長の主張を理解しながらも、今回の協議会は開催すべきと主張する。

 

上記のような議論がなされていたが、予防協議会は内務省が主催のまま開催された。

内務省に移管へ

狂犬病予防事務の移管問題は以上の様な経緯により、起こった問題である。最終的に、内務省は1926年(昭和元年)にこの移管問題を(※)行政調査会に提案し、翌1927年(昭和二年)に行政調査会特別委員会は狂犬病予防事務を内務省に移管することを報告した。

1928年(昭和3年)1月には、行政委員会決議に基づき、狂犬病予防事務移管の件についての閣議決定が内閣書記官長より通牒された。これを以て、移管問題は解決し、1929年(昭和四年)4月11日に移管は決行された。

しかしその間、農林省・内務省各局長は各々自説を展開し、最後まで相譲らなかった。

(※)運営の改善に関する基本的事項を審議する機関

終わりに

大正12年から14年にかけ、三千頭余りの狂犬病犬の大流行が発生し、狂犬病患者を多数出した。しかし、昭和3年までには狂犬病犬は441頭と激減している。

これは農商務省(農林省)の必死の防疫が功を奏した結果に他ならず、狂犬病予防事務の移管は狂犬病流行の終息期に入るなかで行われたという事については把握しておかなければならない。

参考文献:

山脇圭吉. 日本帝國家畜傳染病豫防史. 獣疫調査所, 昭和11年.